行事について
先日、4人のお子様を持つ保護者の方から貴重な意見を頂戴することが出来ました。
それは、様々な園舎で繰り広げられている「行事」についてです。
私は小学校教員時代に大きな行事のたびに、子ども達と教員である大人たちが苦労に苦労を重ねて、何か月も前から行事の「準備」をし、1日にして終わってしまう花火のような数多くの行事に携わってきました。
そこで思ったのは、モンテッソーリの言う、子どもは「いつも同じが良い」ということに繋がるのですが、1つの行事の為に費やされる時間と労力を子どもたちは本当に望んでいるのだろうか。ということです。おそらくほとんどの学校行事や園行事の実行について子ども達に選択の余地はありません。
子ども達は、そもそもそれらを求めているのだろうかと。常に自問自答しておりました。
「モンテッソーリ教育」だけでなくどのような教育活動でも、いや、どのような仕事においても「準備」がとても大切であるということは言うまでもありません。それは弊園舎の先生方にも常に意識をし、大切にしてもらっております。
普段の子ども達を完璧な環境で迎えることを大切にしていると、どうしもイレギュラーな行事は教師の負担になります。
ですので、我々は普段の子ども達の日々の生活を大切に「環境を整える準備」を怠らないよう、「日々」を重要視して「行事」は控えめにしております。
年中行事については「日本の文化」や「季節」を彩る継承の意味を込めて意義のあるものをと考え、子どもの育ちや学びを第1に取り組んでおります。
始めの話に戻るとそのお母さんは4人目のお子様を幼稚園に入れるとき、1人目の子と4人目の子では大きく変わってきたということをおっしゃいました。
それはやはり「1人目」のこの時はなにせ全てが初めての事であるから、ごくごく「一般的で大きな園舎で行事がたくさんあるところ」で幼稚園を探されたようです。
しかしながら4人目ともなると、とにかく「中身」を重視され「先生」「園舎の方針」で園を選ばれたようです。特に行事は必要ないのではないかというものも多く、保護者の方々にとっても負担になっていたものも少なくないとのお話がありました。
このようなお話をお聴きする中で、我々は今後も小さな幼児教育施設に変わりありません。そのメリットを存分に感じてもらえるような、日常の「日々」を大切にした、また子ども、教師、保護者の方々が納得感、満足感の得られるような行事を構築していきたいと思いました。
たった1人でも
近頃、ご見学頂いた保護者の方に、「小さな幼稚園では、子どもの社会性が身につかないのではないですか」とのご質問を受けました。
また、「モンテッソーリ教育では子どもが自分勝手になってしまう心配があります。」と言われたことがございます。
1つ目の質問に私はこの質問にこう答えました。
「子どもの社会性の発達には環境の部分はとても大切だと考えます。大きな幼稚園小さな幼稚園に関係なく小さな集団の中で、また幼児期においても異年齢で育っていくことが子どもの社会性を身に着けうる最適な環境であると考えます。」
というように。
子ども達は小学校に入学すると否が応でも、学校、学年、クラスなどの「集団」という「社会」に飛び出していきます。そこで、集団生活の「慣れ」ではなく、一人ひとりの「個」が育っているということが「社会生活」を送っていく上で大切であると考えます。
具体的には、
・自分の身の回りのことが自分でできる。
・相手の話を聞くことが出来る。(待つことが出来る。)
・自分で考えて行動する基礎がついている。
モンテッソーリ教育では、異年齢の小さな社会生活の中で自己選択の日々を繰り返します。まさに先ほど挙げました「個」の成長が自然と期待できるものと捉えております。
また、少人数であるということは、保育士や教師もきめ細かい目で子ども達を見守ることが出来ます。
私は小学校教員の新任時代、1クラス40名の大所帯でした。教室にエアコンはなく、本当にこの環境で大丈夫なのだろうかと心配になったほどです。
その後、最小の29名のクラスを持った時にはやはり、大人の目という部分(経験を重ねたということもありますが)では少人数が良いだろうと思いました。また、同年代の大規模による集団教育には過度の「競争原理」が働いてしまいます。
人の人生は他人と競うものではなく、他の人と協力しながら自分の人生を主体的に「生き抜く」ことが大切であると思います。ですのでそれぞれの教育環境の規模ではなく、子ども自身の判断、幼児期においてはご家族特にお母さんの判断が大切になってくるかと思います。
今は、どの学校も少子化の影響により、必然的に1学年の人数は少人数になっており、算数科や国語科で少人数に分けた学習も進んでおります。
やはり、小規模大規模に関わらず、子どもの主体性を育むための「環境」が子どもの成長・発達の部分において重要になってくるのではないでしょうか。
2つ目の質問にはこう答えました。
「モンテッソーリ園ではその逆です。」
よくモンテッソーリ教育について誤解があるのは「自分勝手になってしまうのでは」という所です。
モンテッソーリ園では「自由」という名の「放任」ではありません。
決して自分勝手な考えにはならない環境であると思っております。
その理由として、具体的には、
・モンテッソーリ教育の「おしごと」をする上での教具や道具が環境には「1つ」しかない。
・自分で使った園のもの(教具含む)は必ず次の人の為に元の場所に戻しておく必要があるということ。
・「自分でやりたい。」という「心が満たされている」ため「相手にも優しく接することが出来る」(情緒が安定している)
教具が1つしかないということは必ず順番が来るまで「待つ」必要があります。
(※詳しくは前回のブログ「待てるということ」をよろしければご一読下さい)
使った物をきちんと元ある場所に元の状態で戻すことは高津学院幼稚舎では当たり前のように、繰り返し伝え、覚えていきます。
最後の満たされた気持ちはとても大切であると考えます。大人でもおなかがすいていたり、寝不足だったり、人間関係で悩むときは他人に優しく接することが出来ないのではでしょうか。子どもも同じなのです。毎日自分のしたいおしごとを繰り返し(ここに保護者の方は引っかかるのだと思います。)自己選択の日々を送ります。この時点で与えられるのではなく、自分で行動を起こす日々ということになります。
私は長年、初等教育に携わってきましたが、大人数大規模の教育活動には子どもの主体的な成長に大きく寄与することはないと考えます。大きくなればそれだけ組織として「教育理念」をしっかりと共有する必要がありますし、その難しさは教員時代に痛感いたしました。
我々高津学院幼稚舎も、園児が全くの0(ゼロ)からのスタートでした。モンテッソーリ教師と共に「たった1人」でも今いる目の前の子どもを大切に楽しみながら働こうと声をかけております。
今後も多くの保護者の皆さまのお声をお聞かせ頂く中で、教育について気づいたことや考えを綴っていこうと思います。
「待てる」ということ
3歳児への絵本の読み聞かせの途中、どうしても行かなくてはならない用事ができたようで、教師が席をたちました。
少し心配になりその様子を見ていたのですが、初めは黙って待っていたようでしたが、少しずつ「まだかな。」
「○○先生もう来るかな。」から「この絵本○○だよね。」とひそひそと話しながら、教師が戻るまで子ども達はじっと待っていました。
私の感覚では少し長いように感じたのですが、教師が「ごめんね。お待たせ。」と言って戻ると何事もなかったかのように読み聞かせが再開されました。
子ども達は普段、1つしかない教具の環境に慣れています。
また、待っていれば必ず順番が回ってくるということも同時に覚えていきます。
時に、我々の方が慌ただしく過ごしておることもあり、慌てることのない子ども達から学ぶこともあります。
「待つこと」の大切さを園児たちとこれからも共有していこうと思います。
withコロナ時代の3つのS
緊急事態宣言が全国的に解除され、本格的に日常的にコロンウィルスとの闘いがこれから始まろうとしています。
園舎でもこれまで同様気を緩めることなく、部屋の換気、室内の消毒、職員の体調管理を徹底していきたいと思います。
多くの企業などでもテレワークやリモート会議が導入され、それの賛否についてもメディアが取り上げるようになってきました。
リモートで済ませられる会議などが洗練されていく一方、対面でしか行うことのできない「人」同士のつながりが大切であるということも同時に気付くことが出来たのではないでしょうか。
これらの経験を踏まえ、これからの時代は、「スモール」「スピード」「スマート」の考え方が大切になってくるのではないかと考えます。
これは「教育界」「保育界」においても例外ではないと思います。
小さな施設の中で、少人数で子ども達一人ひとりの成長を保護者の方々とコミュニケーションを取りながら見つめ続け、様々な課題に素早くスマートな対応を「高津学院幼稚舎」も更に意識していきたいと思います。
また、これまで幼児教育の中で当たり前に行われてきた、多大な準備が伴う子どもと保育士を苦しめる表面的で見栄えのみの大きな行事を疑い、子ども達の日々の生活を最重要視した日常を大切にした中身のある園になっていくよう邁進してまいりたいと思います。
常に「進化」していく園を目指します。
6,7月2週間無料体験入園開催のお知らせ
2020年3月に実施させて頂きました、1ヵ月体験入園では、多くの皆様にご参加いただくことが出来ました。
緊急事態宣言は解除されはしましたが、新型コロナの不安の中、また保護者の皆さまに何かご協力できることはないかと、6月7月に大変小規模ながら、6,7月の無料体験入園を実施させて頂きます。
今回は小規模であり、更に弊園舎にご関心頂いてる皆様の対象となりますが、しっかりとした3月の無料体験からのフィードバックを加え、2週間という期間で、存分に子ども達と保護者の皆様に「モンテッソーリ教育」をご体験頂ければと存じます。
感染の防止を大前提の上ですので、若干名の募集となり、是非お早めにお申込み下さいませ。
実施時期
第1期:2020年6月1日(月)~2020年6月12日(金)
第2期:2020年6月15日(月)~2020年6月26日(金)
第3期:2020年7月1日(水)~2020年7月15日(水)
第4期:2020年7月20日(月)~2020年7月31日(金)
対象:2歳半(2017年11月30日以前)~6歳児
までの未就学児童
※進学(入園)先未定の方が優先となります。
日時:月~金の5日間×2週
※9:30~14:30(1週目は慣らし保育を実施します。)
料金:利用料完全無料
(給食費は食べた分のみの徴収となります。)
お申込みは以下からも可能です。(お電話:平日9:00~17:00 ☎06₋7708₋2865)
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小さな先生
異年齢で過ごすと、年齢が上の園児が年下の園児に対して、それはそれは優しく接してくれています。
園のルールを伝えたり、身の回りの手伝いをしたりすることなどが抜群にうまいときがあります。
我々大人がどうしても時間の都合やこちらの考えで声掛けをしてしまいそうになる時、年上の子は、
「○○ちゃんは、こういうことを思っているかも知れないよ。」と年下の子に寄り添った考えを教えてくれます。
身支度に手こずっている年下の園児には、
「今度は○○ちゃん先生(年上の園児)が行くよー!」と笑顔でお手伝いに行ってくれています。
思えば、小中一貫校に勤務していたころ、職員室に呼び出されて説教をされている多感な女子生徒が中学校の先生に対して向ける目と、小学校の低学年にせがまれ遊んであげている時に向ける優しい目線の違いに驚いたことがあります。(この生徒はこんなに優しい目をするんだな。どうか先生にも理解してもらえたらな。と切に願いました。)
子ども同士の世界の中で、より身近な感覚でそして子ども本来の持つ優しさで自然と笑顔で過ごしてくれていることに、やはり異年齢で過ごすことの大切さに気付かされる毎日です。
子どもの限界
巷では、GWまでの緊急事態宣言に伴い、宣言や自粛、学校休校の延長が囁かれています。
そもそも、GW明けという期間については「人」が勝手に決めた期間であって、ウイルスには関係ありません。
この新型コロナウイルスとの闘いは長期なることは自明で、今後は経済や教育にどれだけ影響を及ぼさずに且つ、安全で安心な日々の生活に戻っていくということが大切なのではないでしょうか。
夏休みの撤廃は子どもたちにとって非常に良くないと共に、もしするのであれば今後ずっとそのようにする必要があると思います。
また、9月始業に関しても同じで、必ずその分のしわ寄せがどこかに来ることは間違いありません。
子ども達の我慢はおそらくこの5月末になるかと思います。高校生のインターハイの中止や甲子園の中止。大人になれば理解し妥協できるようなことも、子どもたちの世界にとってはそれが全てなのです。それは私たち大人が経験したことのはずです。
我々にとっても同じなのでですが、子ども達にとっての成長期の「今」は一生戻ってこないのです。
それを理解してあげて、大人である私たちがどうすれば、子ども達に「日常」を取り戻してあげるかが大切であると思います。
私は初等教育に関わっていますので具体的には、
・夏休みの撤廃ではなく、7月末までの1学期の延長
・今年度のみ土曜日の午前4時間授業の実施。(土曜日に副教科を中心の時間割)
・必要最低限の学校行事(子ども達が楽しみにしている宿泊行事や遠足は出来るだけ実施の方向)
遠足は秋のみ、宿泊は修学旅行のみ、社会見学の中止、運動会は団体演技なしの競技だけ(保護者観覧あり土曜日午前中のみ)
・カリキュラムの改訂。今年度よりはじまる予定の小学校における英語科必修化の延長。道徳科の評価の見送り。
・部活動の再開(時間を短縮し、出来るだけ子どもたちの負担にならない範囲での実施)※下校時刻の30分~1時間の延長
考えただけでも多くの案が出てまいります。1ヵ月程度の遅れは私たち大人の工夫と努力で無理なく確実に取り返されると考えております。
この案は同時に先生方の負担の軽減にもなります。
今回このような工夫でこれまで、だれも信じて疑わなかった「教育環境における本当に必要なこと」が見えてくるのではないでしょうか。
どうか繰り返し伝えておりますが、子ども達のこの先をしっかりと見通した施策がとられることを願っております。
教育は人なり
アフターコロナにおける、学校現場や教育現場は今後、変容していかざるを得なくなると考えます。
遠隔でも受けることのできる様々な教育コンテンツが成長し、今後も家にいながら学ぶことが出来る選択肢はいっそう増えてくるものと思います。
しかしながら、その子ども達に接するのは基本的に我々大人であります。
園舎代表として共に教育者として、保育士、モンテッソーリ教師には常に「プロフェッショナル」であって欲しいと願います。
保育・教育の「プロフェッショナル」を考えた時に、まず出てくるのが、
・専門的な知識を有してること
・常に子ども(相手)の立場に立って考えられること
・自己管理(健康管理)に努められていること
が挙げられると思います。
日々成長著しい子ども達の前に立つ大人として勤勉で内省を繰り返し、常に自分と向き合っていたいと思います。
そして、子どもがどんなことを考えているのか、今どんな気持ちなのかを受け止められるように子どもの声に耳を傾けたいと思います。
最後に、自分が1番楽しみながら成長しているということ。
日々しっかりと睡眠と食事をとり、ストレスの解消法を身につけ、もし実生活と子どもと接する時間が切り替わる性分であればオンとオフを切り替え、常に心身ともにベストな状態であることが大切であると思います。
ただし、我々も「人」です。悲しいときもあれば、辛いときもある。そんな感情をひた隠しにするのではなく、しっかりとやり過ごして、子どもの笑顔と眼差しに癒しを覚え、自律出来る人でありたいと願います。
これからも世界は未曽有の事態を迎えようとしています。
どうか、子ども達の未来が明るいものとなり、主体的な考え方の持つ人になっていけるような手助けをするにはどんなことがあるのか考え続けて実行し続けたいと思います。
子どもの気持ち(今だからこそできること)
緊急事態宣言が都市部を中心に発令され、2週間が過ぎようとしています。
未だ新型コロナウィルスの猛威は続いており、世界中で外出自粛などの規制が続いております。
子ども達も新年、新学期より1度も学校や幼稚園に登校できていない児童生徒・園児も多いのではないでしょうか。
また、今回の外出規制により、夏休みの短縮も検討され始めてきました。
語弊を恐れずに言うと子ども達にとっては、急に学校に来るなと言われて、夏休みが短くなる。大きな迷惑です。
子どもにとって長期休みは楽しみでもあり、救いの時間でもあると考えます。お家の人とゆっくり過ごす大切な時間でもあると思います。
部活動や学習、様々なことに集中的に取り組める時間であることは言うまでもありません。(親戚の家に遊びに言った記憶は今でもキラキラと輝いていませんか。)
私たちがそうであったように。大人である私たちはその頃の気持ちを忘れてしまっているのではないでしょうか。
こんな世の中であるにもかかわらず、基本的に日本では皆しっかりと冷静な行動をできていて、感染リスクや収束の見えない不安こそあるものの、安全な日本で暮らせていることを感謝しております。これは私たち日本に住む大人が理性を持って行動することのできている証拠であると考えます。このことを誇りに思います。
その上で、子ども達のことに考えを向けて欲しいと思います。教育に携わり、特に初等教育に深くかかわる身としては、どうか今回の件で子ども達に大人の都合に合わせるのではなく、文部科学省を中心とした学習カリキュラムの改訂を検討してほしいと思います。これまで経年的に行われてきた学習内容の見直し、そして充実、オンライン講座の工夫。英語科や道徳科の教科化の再検討。工夫次第で必ず子ども達の「学び」即ち「学力」は担保されるものと考えます。(私自身具体的な素案はありますが、長文になると思うのでまた別の機会で述べさせていただければと思います。)
そして家庭での過ごし方についての提言
保護者の皆さま、子ども達の力を信じて、1度子ども達の思うように家で過ごしてもらうと良いのではないでしょうか。
1日中ゲームをしてもいい。ただ、ご飯は一緒に食べる。などのこちらの意見も取り入れてもらいながら。
1日中ゲームをしてはいけない。ご飯は決まった時間必ずたべなさい。と言われると子どもは反感を抱きます。大人でも同じです。子ども達の想いや意見、今どのようなことを考えているのか。ゆっくりと話が出来るチャンスです。しかし、決して大人の無理やり合わさせるのではなく。
上からキツく言われて学んだことはありますか。自分で失敗をたくさんして学んだことの方が今の自分の行動を作っていませんか。
弊園舎でも、保護者の方から多くのご質問を頂戴します。ここで私が常にお伝えしているのは、「子どもの人格と尊厳をしっかりと認めながら、大人人格と尊厳も認めてもらうこと」の大切さをお伝えしております。子どもの心に寄り添うことと、子どもの僕になることとは違います。1人の人間としてお互いの事を尊重していく考え方です。私は「教育」ではなく「共育」であると考えます。大人である私たちも、もちろん完璧な人間なんて存在しません。
子どもの尊厳を認めるところから、こちらの意見も聞いてもらう。常にいい意味で対等であることを意識すれば、子どもは必ず(ここは断言いたします)必ずこちらの意見も取り入れてくれます。私が教育に携わり、幾度の場面でこの考え方で認めてもらえなかったことは1度もありません。逆に押し付けてしまうことで多くの失敗を繰り返してきました。思春期、幼児、年齢に関係はありません。
どうか、今の機会だからこそ、共に居ることのできる時間を、大人も無理のないように大切に温めながら普段できない会話・行動をゆっくりとした時間の中で行ってみてはいかがでしょうか。
最後まで読んで頂きありがとうございます。幼稚園、小学校のみならず子育てや教育に関する弊園舎保護者の皆さま以外の方でも、我々でできることがあればいつでもご相談ください。今後の社会を創っていく子ども達の将来をどうか大切にお話しできれば嬉しく思います。
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