子どもの声
高津学院幼稚舎にも子ども達の声が戻ってきています。
残暑の中でも子ども達は元気いっぱいです。
夏休み中、静かな園舎で集中的に仕事をしたのですが、やはり園舎に子どもの声が響いていると心地よくそして嬉しく思います。
そして今日もたくさんの事を教えてくれました。
帰る準備をしている際、3歳児の女の子が歯ブラシコップを忘れそうになっていたので、これ忘れてるよと声を掛けそうになったのですが、「園長先生それコップが違うよ!」と別の3歳児の子が教えてくれました。自分のではなく別々の友だちのコップを覚えていることにとても驚きました。
4歳児の子がみんなの水筒の種類をほぼ覚えていたことがあったことを思いだいました。
4歳児の男の子は「今日は帰りにお母さんと小松菜ジュースを飲みに行くんだ。」と嬉しそうに話してくれました。
私が「そうなんだ!でもなんか苦そうだね。。。」というと男の子が「リンゴも入ってるから大丈夫だよ。園の近くのデパートにあるから先生も1回飲んでみて。」とレコメンドしてくれました。
その後その子が「園長先生これ読んで。」とラチらいおんという絵本を持ってきました。この本は気の弱い男の子が、強いライオンの人形に出会い、どんどんと力をつけて、最後にこのライオンの人形をポケットに忍ばせ勇敢になっていくけれど、ポケットに入っていたのはリンゴだったというお話です。
その子は書棚に絵本を返す時に「今日はりんご気分―♪」と笑顔で歩いていきました。おそらくこの子はこの本の結末を知っていて選んのだと思います。
本当にいつも子ども達には驚かされてばかりです。
明日からスタート!!
高津学院幼稚舎の短い夏休みも今日で終わりです。
明日からの再スタート!!
しっかりと準備を整えて参ります。
また、明日から子ども達の元気な笑顔に出会え、どんな出来事が待ってるかと思うとワクワクしています。
1日1日を共に、大切に過ごそうと思っております。
一体感や共通目標
表題の言葉を見て皆さんは何を感じるでしょうか。
ポジティブな感じ。部活。それともチーム。
私は、教育の中にこの言葉を見つけた時、少しの「違和感」を感じます。今も交流のある退職された先生との書簡の中にこのようなことが取り上げられていました。
小学校では、「学級目標」や「宿題忘れゼロ」などを掲げて学級を運営する場合があります。
よく見る、教室の学級の黒板の上などにその学級の目標などです。
私自身も新任の時は先輩先生と同じようのこのようなことをしておりました。
しかし、数年たって行くうちに少しずつ、クラスの目標や忘れ物ゼロなどに違和感を感じ掲げるのをやめていきました。
部活や仕事においては本人の意思が少なからず入っているため、このような共通課題や目標は有用になってるのかもしれませんが、子ども達はたまたま同じ学年で同じ地域に集まってきただけなのに、急にこのようなことを目標などとしていくのはどうなのだろうと思ったからです。
高津学院幼稚舎の子ども達を見てみると毎日「個人の目標(目的)」を持って園舎にやってきます。「今日はこれをしよう。」「明日はこの続きをやる。」このような言葉や行動を見た時に、とても嬉しくなると共に今の初等教育の課題に思いを巡らせます。
園舎では決して集団的な活動がないわけではありません。朝の会や、絵本の読み聞かせ、歌の合唱、などは日々の活動に入っております。
しかしながら、他のおしごとや活動に没入している子に無理にそれらに入ることを強いることはありません。
そんな日々を送っている子ども達を見ていると、決してずっと1人というわけでもなく、自然と友だちと一緒に活動するときもあれば、自分のしたいことに集中することもある。といった様子です。
集団行動や共通目標、一体感などが目指すものになるのではなく、自然的に派生して欲しいものと考える月曜日の午後でした。
元気
先日は高槻市にあるモンテッソーリ園に訪問し、園長先生とお話をさせて頂きました。
園舎の中には静かな音楽が流れ、優しそうな先生方の雰囲気の中、園長先生手作りのお菓子やゼリーを頂きながら大変有意義に時間となりました。
大先輩である、園長先生は今でも最前線で活躍され、いつも本当に刺激になります。
沢山の学びも与えて頂き、常に前を見てモンテッソーリ教育を実践される姿に私も元気をもらいました。
あっという間に2時間半が過ぎ、少し夏のご挨拶に伺うつもりが、つい長居してしまいました。
夕方園舎に戻り、そのパワーを貰った状態にてすぐに、教えて頂いたこと、学んだことを整理したのは言うまでもありません。
モンテッソーリ教育を「生活」としてとらえていくことの重要性、大切な幼児期こそ科学的にも根拠のあるこのモンテッソーリ教育を今後も共に本格実施園として研鑽させて頂ければと思います。
とても素敵な夏の午後の時間でした。
子どもの自立
3歳児になったばかりの子ども達。
園舎内での日々の成長が手に取るように見ることができ、本当に驚きます。
近頃は友だち同士で話し合いながら共におしごとに取り組む姿が見られます。
「一緒にやろう。」「今使ってるから、ちょっと待っててね。」等。
特に異年齢で外遊びに行ったときは、年上の男の子が年下の女の子に「これ持ってあげる。」と荷物を持ってあげたり、またその女の子が、更に下の子の水筒を全員分私が持っていたものを「先生、持ってあげる。私、みんなの水筒覚えているから。」と私の代わりに運んでくれたりと。
このような光景が毎日見ることが出来、幼児の成長の面白さを実感しております。それと同時に1日、1日が子ども達の成長にとって大切なんだと気持ちの引き締まる思いでもあります。
大人が介入しすぎることなく、少しずつ子ども達が決め、大人は援助に徹するような園にしていきたいと思います。
そして、他者の意見に共感し、自分の時間も大切にした、人生の中で大切な幼児期を主体的に過ごして、毎日が大満足の日々を送って欲しいと思います。
小学校の先生方とのお話
先日数名の小学校の先生方とお話する機会がありました。
話題はまさに「初等教育の現状をこれから」。
やはり、どの小学校現場でも新型コロナの影響は甚大で子ども達にも多くの影響が出ているという事を聴きました。
それぞれの現場での話に尽きることはなかったのですが、特に印象に残ったことを記しておきたいと思います。
①現在の小学校カリキュラムにおいてかなり猶予のない状況に変わりなく先生方が困惑し、余裕がないということ
これは、今回の新型コロナの影響に加えて、小学校英語科の必修化や道徳の教科化などにおいて、ほとんど一切の時数(各教科において決められてる時間)に余裕がなく、じっくり1つの単元向き合う時間がないという事になります。もともと学校というのはスクール「school」ラテン語でスコラ「schola」という語源により、「ひま、余暇、余裕」からきていると言われます。たっぷりとした時間の中で、勤勉な先生や仲の良い友だちと学びを深めることが本来の学校の役割なのではないでしょうか。現場は真逆の状況だという事を話されていました。
②学校行事そのものを問い直す時期
今回それぞれの学校によって、運動会などの人々が集まる大きな行事は「中止」や「小規模での開催」という事になっているようです。これには正直な所、安堵の息を漏らす先生方がほとんどでした。(しかし終わらせなければならないカリキュラムに追われる先生と子どもに変わりはないのですが)今回、保護者の方々の中には学校行事の小規模化により子ども達がかわいそうと思う気持ちは大変よく理解できます。しかしその準備が本当に大変であるということ、そのしわ寄せ(準備により削られてしまったカリキュラム)が子ども達に返ってくるという事を忘れてはなりません。私は学校行事や園行事は、「子ども、保護者、職員、皆が楽しめる有意義なもの」が大切であり、「参加型」や「共有型」が主流になってくるものと予想します。例えば芋ほりやいちご狩りなどの収穫的行事。また様々な芸術(スポーツも含む)に触れることが出来るようなものが増えていけば、双方の負担が減っていくものと考えております。それぞれ行事を教師ではなくその道のプロフェッショナルに導かれた方が確実に子ども達の思い出として残るのではないでしょうか。
③自己選択と異年齢の有用性
これはモンテッソーリ教育を実施してる私の園の話について、小学校の先生方がご自身の経験を踏まえて大変盛り上がった議題となりました。まずは「自分で選んで決める」という事の重要性。小学校の先生方も私も皆、これまでの人生で自分で決めたことや主体的に大切だと思ったことに費やした時間は本当に身になるという事を実感してきています。教え込まれた知識や技術より、自らの内発的動機付けで決めたことに子ども達は責任をもって行動するという事も共有しました。その上で「モンテッソーリ教育」は幼少期から毎日が「自己選択」の連続です。それが通常でそれ以外を知らないということも先生方が感心されたことの1つでありました。
次に異年齢での活動。この夏のサマースクールでも当園ではもちろん異年齢で過ごしておりました。2歳から5歳でも毎日本当にドラマのような場面に出会うことがあります。先生方の中には、小中一貫校で勤められている方もいたのですが、小学生がいると中学生はとても小学生を意識し、自然と優しく接する姿をよく目にする。というお話がありました。我々は社会に出ると同学年の人と、同じ時間、同じ空間でずっと過ごすというようなことはまずあり得ません。年上、年下の人々と人間関係を築くという事になります。こういう面でもモンテッソーリ教育は有用であると先生方はお話してくれていました。
それ以外にもたくさんのお話をすることが出来、気づけば4時間以上の時間となりました。私は小学校の先生方に「授業」を第1に考え、大切にするプロフェッショナルな先生がいるという事を嬉しく思うと共に、私自身の更に研鑽を続けようと、気持ちの引き締まる思いでした。
今後も定期的に意見の交流、情報交換を重ね、公教育とモンテッソーリ教育の可能性について共に学び合えればと思っております。
待てるひと
園舎で生活してると子ども達が待っている姿をよく見かけます。
自分のしたいおしごとを別の友だちがしていた時に待ったり。
教師にお手伝いして欲しい時でも、先生が他の子のおしごとのお手伝いをしてるので待ったり。
今回はとても心が暖かくなるひと場面がありました。
1人の女の子が1つ学年の上の男の子と一緒にお気に入りの自作時計を作る製作をしたいと思い、紙やら道具やらを完璧に準備して誘いました。
しかし、男の子は別のおしごとへ。
教師が「先におしごとしてるから、少し待ってあげてね。」と伝えると、彼女は約10分ほど、席に座ってその男の子の様子を伺ったり、机をきれいにしたりしながらずっと待ちました。
男の子がようやくそのおしごとを終えると、何ごともなく一緒に楽しく時計作りを始めました。
恐らくこの女の子は「待つ」と必ず来てくれることを知っており、待つと必ずできるということを園舎内で経験してくれているのだと思います。
大人の私でも少し長いなと思った程ですので、今日も大切な何かを子どもから教えてもらったような、そんな瞬間に出会えた出来事でした。
子どもの成長
少人数での日々の子どもの様子を見ていると、子ども達の着実な成長が見てとることができてとても嬉しくなります。
おしごとの発達はもちろんなのですが、友だち同士での折り合い。例えば遊んでいる時に遊具が取り合いになった時、園舎では先に使っていた子が終わるのを待つよう提案しているのですが、子ども自らが「1つだったらいいよ。」や「一緒に使おう。」などの声を掛け合う姿が見られます。
園舎内で走ってしまう2歳児に3歳児が、「走らないよ。」と優しく声をかける姿。
時間を決めてごっこ遊びをしている2歳児。これまでは教師に時間を決めてもらって時間が来たら教師が声をかけていたのですが、先日は自分たちから「あっ。7のところに来たからおしまいだ。」と片付けを始めておりました。
そんな小さな出来事から子ども達の成長を見守ることが出来ることに幸せを感じます。
自分たちで、まさに「子どものいえ」を創っていけるような、そんな園舎になってくれれば良いと考えます。
また、月曜日に子どもたちの元気な「おはよう!!」が聴けるようしっかりと準備を整えていきたいと思います。
モンテッソーリ教育で育った子ども
近頃、明らかに教員時代よりも多くの保護者の方々(特にお母さん)と日々お話する機会があります。
もちろん小さな園ですから、当然と言えば当然のことではあるのですが。
しかし、はっきりとしていることは、お母さん方が、子ども達へ健やかな成長と主体的な人生を歩むことを切に願っているということです。
その思いはとても偉大で「母の強さ」に敬意を表すばかりでございます。
そんな中私が保護者の方からよく受ける前回述べた以外の質問の中に「モンテッソーリ教育を受けた子ども達ってどんな風に育つのですか?」というものです。
これは、私自身が1番興味深く、この先もずっと見ていきたい共通のテーマでもあります。
そんな中、ヒントになる本からの抜粋を紹介します。
相良敦子先生著「モンテッソーリ教育を受けた子ども達~幼児の経験と脳~」によると、モンテッソーリ教育を受けた子どもたちに共通する項目が以下に通りです。
・順序だてて、ものを考えることが出来る。
・なにをするにも、計画を立て、順序を踏んで、着実に実行する。
・段取りがよい。
・先を見通すことができる。
・1から出発する。
・省略しない
・状況の読み取りが速く、臨機応変に対処することが出来る。
・わずかな差異に気付き、道徳性が高い。
・ひとりで、たじろがない。責任ある行動が出来る。
・礼儀正しい。
確かに園舎でもその片鱗を見せてくれている園児がいます。それはモンテッソーリ教育の毎日の生活の中で育っていくものだと、日々子どもたちの活動をみていると感じさせてくれます。前半はまさに現在日本の教育界でも注目され、プログラミング教育などでつけようとしている「論理的思考力」であると感じました。又後半は「主体性」と「社会性」があるということになります。
表面上の礼儀正しさや主体性ではなく、本当の意味での「生き抜く力」を園舎でもつけていってもらいたいと考えます。
大学院の時の恩師の言葉がいつも浮かびます。
「自分を助けることが出来るのは、自分だけなんだ。」我々学生に向けて指導の意味での言葉だったと思いますが、今でも私の胸に刻まれています。
そのような力を、本当に様々な事を吸収する幼児期に、非認知能力の中からそして「生活」の中で自然とついていけるようになれば、そんな素晴らしいことはないと考えます。
もちろん、上記のことはデータ量の事や一概に言えないということも理解しながら、今後も子どもの成長を見つめ続けていきたいと思っております。
また、この本の中に保護者の皆様の疑問に答えられるような箇所があれば随時紹介していきたいと思います。
※出展:相良敦子(2009)「モンテッソーリ教育を受けた子ども達~幼児の経験と脳~」河出書房新書,P14
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