子どもの一言
久しぶりに登園した女の子は恥ずかしさもあり、お母さんが行かれる時に泣いてしまいました。体調もあったのか中々泣き止むことがなく、子ども達が心配で玄関に出て行ってしまうので、その子にお願いして職員室の中に私が抱っこして入ってもらいました。
15分ぐらい職員室の中で私と過ごし、「自分のタイミングで出て良いからね。」「ここは、○○ちゃんがいて良い場所なんだよ。」「みんな、まってるからね。」と声をかけました。
数分後、仲の良い友だちの1人が、職員室に来て
「待ってるよ。」とひと声をかけました。
すると泣いていた子はすっと園舎に戻りその声をかけに来た子とおしごとをスタートさせました。
大人の私のどんな言葉より友だちのひと言の大きさに大変感動した出来事でした。
このような日々の感動を毎日どのように保護者の皆さまに正確に伝えられるのか。今の私たちの課題であり挑戦を続けたいと思います。。
嬉しい言葉
夏休みも終わり、秋がそこまで来ている中、子ども達はいつも通り元気に園舎で過ごしています。
近頃は年齢の幅も増え、2歳児から5歳児が毎日一緒に活動しています。
保護者の方から休み中の近況についてとても嬉しい言葉をメールで頂戴しました。
『異年齢の子たちと自然体で過ごしている姿に感動しています。入園するまではたくさんの子が遊ぶような環境の中でも娘は私から離れない子で、友達ができるのか心配していたくらいです。
最近そんな心配事はもうすっかり忘れてしまっていますが。
夏休み中も、家でタオルの洗濯を自然と始めたり、私が力尽きてうたた寝しているような横で自分で絵具や紙を用意して製作を始めていて驚きました。パレットはどこかと聞かれて、「パレットないわぁ。」と夢うつつに答えたのですが、あとで見てみると厚めの画用紙をパレットにして色をつくっていたことにも感動しました。』
このような小さな出来事が本当の意味で子どもの「自立」に向かっている一例だと考えます。
モンテッソーリ教育は「知育」や「早期教育」では決してなく、生活、平和教育なのだと考えています。
確かに、教具やおしごとは特徴的で科学的根拠があり、子どもの為に作られたものですからそちらに注目されがちですが、人生の基盤をつくる幼児期にそれらの奥にある本当の意味での「自立」に向かう子どもに寄り添っていければと思います。
現在
高津学院幼稚舎は新しい園という事もあってか、現在2歳児(プレ)、3歳児(年少)の子ども達の割合が多いです。
子ども達はこの空間で、自由に毎日を過ごしています。
いつもお伝えしているとおり、決して「自由」という名の「放任」ではございません。
園舎の中の教具はもちろん一つ。園舎内で走ることや大声で叫んだりすると教師は理由と共に必ず、声を掛けます。
そんな環境の中で子ども達は「待つ」ことや時間的に出来なかったことは「明日する」ことを体現してくれています。
見学者の方は子ども同士の諍いや、ものの取り合いが少ないことにとても驚かれております。
今後、今いる子たちが中心となって、自らの自立と成長を中心に「子どもの家」を創り上げて欲しいと願っています。
そして毎日が満たされた日々の中で非認知能力をたくさん身に着け、主体的に生きる人生に向かって羽ばたいてほしいといつも思っています。
子どもの声
高津学院幼稚舎にも子ども達の声が戻ってきています。
残暑の中でも子ども達は元気いっぱいです。
夏休み中、静かな園舎で集中的に仕事をしたのですが、やはり園舎に子どもの声が響いていると心地よくそして嬉しく思います。
そして今日もたくさんの事を教えてくれました。
帰る準備をしている際、3歳児の女の子が歯ブラシコップを忘れそうになっていたので、これ忘れてるよと声を掛けそうになったのですが、「園長先生それコップが違うよ!」と別の3歳児の子が教えてくれました。自分のではなく別々の友だちのコップを覚えていることにとても驚きました。
4歳児の子がみんなの水筒の種類をほぼ覚えていたことがあったことを思いだいました。
4歳児の男の子は「今日は帰りにお母さんと小松菜ジュースを飲みに行くんだ。」と嬉しそうに話してくれました。
私が「そうなんだ!でもなんか苦そうだね。。。」というと男の子が「リンゴも入ってるから大丈夫だよ。園の近くのデパートにあるから先生も1回飲んでみて。」とレコメンドしてくれました。
その後その子が「園長先生これ読んで。」とラチらいおんという絵本を持ってきました。この本は気の弱い男の子が、強いライオンの人形に出会い、どんどんと力をつけて、最後にこのライオンの人形をポケットに忍ばせ勇敢になっていくけれど、ポケットに入っていたのはリンゴだったというお話です。
その子は書棚に絵本を返す時に「今日はりんご気分―♪」と笑顔で歩いていきました。おそらくこの子はこの本の結末を知っていて選んのだと思います。
本当にいつも子ども達には驚かされてばかりです。
明日からスタート!!
高津学院幼稚舎の短い夏休みも今日で終わりです。
明日からの再スタート!!
しっかりと準備を整えて参ります。
また、明日から子ども達の元気な笑顔に出会え、どんな出来事が待ってるかと思うとワクワクしています。
1日1日を共に、大切に過ごそうと思っております。
一体感や共通目標
表題の言葉を見て皆さんは何を感じるでしょうか。
ポジティブな感じ。部活。それともチーム。
私は、教育の中にこの言葉を見つけた時、少しの「違和感」を感じます。今も交流のある退職された先生との書簡の中にこのようなことが取り上げられていました。
小学校では、「学級目標」や「宿題忘れゼロ」などを掲げて学級を運営する場合があります。
よく見る、教室の学級の黒板の上などにその学級の目標などです。
私自身も新任の時は先輩先生と同じようのこのようなことをしておりました。
しかし、数年たって行くうちに少しずつ、クラスの目標や忘れ物ゼロなどに違和感を感じ掲げるのをやめていきました。
部活や仕事においては本人の意思が少なからず入っているため、このような共通課題や目標は有用になってるのかもしれませんが、子ども達はたまたま同じ学年で同じ地域に集まってきただけなのに、急にこのようなことを目標などとしていくのはどうなのだろうと思ったからです。
高津学院幼稚舎の子ども達を見てみると毎日「個人の目標(目的)」を持って園舎にやってきます。「今日はこれをしよう。」「明日はこの続きをやる。」このような言葉や行動を見た時に、とても嬉しくなると共に今の初等教育の課題に思いを巡らせます。
園舎では決して集団的な活動がないわけではありません。朝の会や、絵本の読み聞かせ、歌の合唱、などは日々の活動に入っております。
しかしながら、他のおしごとや活動に没入している子に無理にそれらに入ることを強いることはありません。
そんな日々を送っている子ども達を見ていると、決してずっと1人というわけでもなく、自然と友だちと一緒に活動するときもあれば、自分のしたいことに集中することもある。といった様子です。
集団行動や共通目標、一体感などが目指すものになるのではなく、自然的に派生して欲しいものと考える月曜日の午後でした。
元気
先日は高槻市にあるモンテッソーリ園に訪問し、園長先生とお話をさせて頂きました。
園舎の中には静かな音楽が流れ、優しそうな先生方の雰囲気の中、園長先生手作りのお菓子やゼリーを頂きながら大変有意義に時間となりました。
大先輩である、園長先生は今でも最前線で活躍され、いつも本当に刺激になります。
沢山の学びも与えて頂き、常に前を見てモンテッソーリ教育を実践される姿に私も元気をもらいました。
あっという間に2時間半が過ぎ、少し夏のご挨拶に伺うつもりが、つい長居してしまいました。
夕方園舎に戻り、そのパワーを貰った状態にてすぐに、教えて頂いたこと、学んだことを整理したのは言うまでもありません。
モンテッソーリ教育を「生活」としてとらえていくことの重要性、大切な幼児期こそ科学的にも根拠のあるこのモンテッソーリ教育を今後も共に本格実施園として研鑽させて頂ければと思います。
とても素敵な夏の午後の時間でした。
子どもの自立
3歳児になったばかりの子ども達。
園舎内での日々の成長が手に取るように見ることができ、本当に驚きます。
近頃は友だち同士で話し合いながら共におしごとに取り組む姿が見られます。
「一緒にやろう。」「今使ってるから、ちょっと待っててね。」等。
特に異年齢で外遊びに行ったときは、年上の男の子が年下の女の子に「これ持ってあげる。」と荷物を持ってあげたり、またその女の子が、更に下の子の水筒を全員分私が持っていたものを「先生、持ってあげる。私、みんなの水筒覚えているから。」と私の代わりに運んでくれたりと。
このような光景が毎日見ることが出来、幼児の成長の面白さを実感しております。それと同時に1日、1日が子ども達の成長にとって大切なんだと気持ちの引き締まる思いでもあります。
大人が介入しすぎることなく、少しずつ子ども達が決め、大人は援助に徹するような園にしていきたいと思います。
そして、他者の意見に共感し、自分の時間も大切にした、人生の中で大切な幼児期を主体的に過ごして、毎日が大満足の日々を送って欲しいと思います。
小学校の先生方とのお話
先日数名の小学校の先生方とお話する機会がありました。
話題はまさに「初等教育の現状をこれから」。
やはり、どの小学校現場でも新型コロナの影響は甚大で子ども達にも多くの影響が出ているという事を聴きました。
それぞれの現場での話に尽きることはなかったのですが、特に印象に残ったことを記しておきたいと思います。
①現在の小学校カリキュラムにおいてかなり猶予のない状況に変わりなく先生方が困惑し、余裕がないということ
これは、今回の新型コロナの影響に加えて、小学校英語科の必修化や道徳の教科化などにおいて、ほとんど一切の時数(各教科において決められてる時間)に余裕がなく、じっくり1つの単元向き合う時間がないという事になります。もともと学校というのはスクール「school」ラテン語でスコラ「schola」という語源により、「ひま、余暇、余裕」からきていると言われます。たっぷりとした時間の中で、勤勉な先生や仲の良い友だちと学びを深めることが本来の学校の役割なのではないでしょうか。現場は真逆の状況だという事を話されていました。
②学校行事そのものを問い直す時期
今回それぞれの学校によって、運動会などの人々が集まる大きな行事は「中止」や「小規模での開催」という事になっているようです。これには正直な所、安堵の息を漏らす先生方がほとんどでした。(しかし終わらせなければならないカリキュラムに追われる先生と子どもに変わりはないのですが)今回、保護者の方々の中には学校行事の小規模化により子ども達がかわいそうと思う気持ちは大変よく理解できます。しかしその準備が本当に大変であるということ、そのしわ寄せ(準備により削られてしまったカリキュラム)が子ども達に返ってくるという事を忘れてはなりません。私は学校行事や園行事は、「子ども、保護者、職員、皆が楽しめる有意義なもの」が大切であり、「参加型」や「共有型」が主流になってくるものと予想します。例えば芋ほりやいちご狩りなどの収穫的行事。また様々な芸術(スポーツも含む)に触れることが出来るようなものが増えていけば、双方の負担が減っていくものと考えております。それぞれ行事を教師ではなくその道のプロフェッショナルに導かれた方が確実に子ども達の思い出として残るのではないでしょうか。
③自己選択と異年齢の有用性
これはモンテッソーリ教育を実施してる私の園の話について、小学校の先生方がご自身の経験を踏まえて大変盛り上がった議題となりました。まずは「自分で選んで決める」という事の重要性。小学校の先生方も私も皆、これまでの人生で自分で決めたことや主体的に大切だと思ったことに費やした時間は本当に身になるという事を実感してきています。教え込まれた知識や技術より、自らの内発的動機付けで決めたことに子ども達は責任をもって行動するという事も共有しました。その上で「モンテッソーリ教育」は幼少期から毎日が「自己選択」の連続です。それが通常でそれ以外を知らないということも先生方が感心されたことの1つでありました。
次に異年齢での活動。この夏のサマースクールでも当園ではもちろん異年齢で過ごしておりました。2歳から5歳でも毎日本当にドラマのような場面に出会うことがあります。先生方の中には、小中一貫校で勤められている方もいたのですが、小学生がいると中学生はとても小学生を意識し、自然と優しく接する姿をよく目にする。というお話がありました。我々は社会に出ると同学年の人と、同じ時間、同じ空間でずっと過ごすというようなことはまずあり得ません。年上、年下の人々と人間関係を築くという事になります。こういう面でもモンテッソーリ教育は有用であると先生方はお話してくれていました。
それ以外にもたくさんのお話をすることが出来、気づけば4時間以上の時間となりました。私は小学校の先生方に「授業」を第1に考え、大切にするプロフェッショナルな先生がいるという事を嬉しく思うと共に、私自身の更に研鑽を続けようと、気持ちの引き締まる思いでした。
今後も定期的に意見の交流、情報交換を重ね、公教育とモンテッソーリ教育の可能性について共に学び合えればと思っております。
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