ヘイトクライム
この新型コロナ禍において、世界中の実態や現状が日々伝えられる中、とても悲しい事実を知ることになりました。
この情報が間違いなく全て正しいとは断定できませんが、世界中でアジアの人に対する「コロナ差別(ヘイトクライム)」が生まれてると言います。
アジア系の人を見ると「コロナ!」と呼んだり、あからさまに口を覆うような恰好をして睨みつけたりなど、世界中でそのような差別が起こっており、中には差別的な行動をとる中に、多くの若年層の子ども達も入っているというのです。
その原因として考えられるのはやはり「幼少期からの経験」と「教育」であるものと思われます。「差別」を経験する人たちは幼いころから「差別」というものを体験し、中には心に深い傷を負うような、大きな悲しみを経験していることもあると考えます。
モンテッソーリは言いました。
「平和は考え方だけでなく、それ自体を経験することによって達成するのです。」
人生の「こころ」の基盤を創る幼少期に、どれだけ「平和」を経験しているか。
「優しくしてもらうこと」「手助けしてもらうこと」「ひとりの個人として人格が認められているということ」これらをまさに「経験」することによって「平和」が生まれてくるのだと園舎で過ごす子ども達を見ていてそう確信します。
比較的平和なこの日本、しかしながらこの世界的に未曾有この事態の中でも、この小さな園舎で、日々存分に「平和」を経験し、子ども達にはどうか「世界の平和」を願い、平和について考えられる人になって欲しいと願っております。
今すぐやること
園舎で子ども達の様子を見てると、いつも純粋に「何か」をしています。
ぼんやり何かを考えてる。なんていうことはなく、常に手足を動かして、イメージ的には「考えながら動いてる。」「動きながら考えてる」という風に見えます。
私はこれがとても大切なのことなのだと思います。
高津学院幼稚舎では、何かしよう。あれしなさい。これします。は殆どありません。
子ども達自身がその日の自分の生活を考えて1日を過ごしています。
これを幼少期からずっと続けると自分の時間は自分で過ごすことが当たり前で、指示待ちというようなことにはならない主体的な人生を歩んでくれるんだろうと考えます。
自分が「やってみたい。」という興味・関心に素直に反応し、時に失敗を続けながら、楽しくフィードバックを繰り返して過ごす。
人生はこういいシンプルな事なのではないでしょうか。
しかしながら子ども達は成長するにつれて、大人の余分なリスクヘッジや固定概念の中に囚われ、自由な発想や行動を阻害されていきます。
早期教育。学力史上主義。
私は生まれ育ったこの文教地区天王寺区に敢えて何が貢献できるかを考え、一石を投じる意味も含めてこの園舎を立ち上げました。
学力があるから、豊かなのか。テストの成績が良く名門とされる学校に入るから良いのか。
決してそうではありません。
もしそれらに意味があるとするなら、その名門に入ってから何を学ぶのか。つけた学力を自分の人生に活かす力が必要なのだと思います。
私は園舎体験、見学、説明会で来られる保護者の方々にモンテッソーリ教育は決して知育ではなく、生活教育・平和教育なのだという説明からスタートします。
これからの時代。子ども達にとって本当の意味で豊かな、限りある一生を大満足で過ごすことがモンテッソーリの言う「平和」に繋がるのだと信じて疑いません。
「すぐやること。」したいと思ったらすぐに行動に移すことができること。様々な人の意見や助言も、もちろん聞き入れながら、人生の最終決定は自分が決めること。
そのことを失わずに、園舎では子ども達に過ごして欲しいと思います。
ことばのつながり
今日は年中の子どもが行動遊びの札(「てをあげる」「たっておじぎをする」など行動が書かれたもの)を持って来て、
「おこる」の「こ」と「おきる」の「き」の違いを見つけて、1文字違いだねと話していたら、
「ねえ、園長先生、(ねる)。」って書いてと言ってきました。
職員室のホワイトボードに「ねる」と書いてると、他の年中、年少児も集まって来て、「これみて何か気づいたことある?」と尋ねると、途中参加の年中さん(識字可能)が「あ、全部に(る)がついてる!」と発見。
「そうだね。みんなが何かするときの言葉には、るーーーってのばすと全部最後は(う)になるんだよ。」と伝えると、そこからみんなで、「食べるぅー。」「寝るぅー。」「あそぶぅー。」「家に帰るぅー。」「階段を下りるぅー。」と職員室を出て、子ども達のたくさんの動詞遊びが始まりました。
暖かな午後の、あたたかな気づきのひと時でした。
お知らせ
2021年度当園は「大阪市が一定の教育の質があると認めた認可外保育施設を利用しているこども」達を対象とした施設利用補助施設に選定されました。(国の無償化対象施設には認定済でございます。)
この制度により、大阪市に在住の(3歳児~5歳児:2017年4月1日以前生まれ)利用の方々に対して「保護者の方の就労用件に関わらず、保育料の半額(上限¥308000)が助成される」こととなります。
この認定を頂戴することにより、ご就労のみならず、毎日ご家族の家事・炊事という365日無休の大変な「お仕事」をされておられる保護者の方に少しでもご支援できるものと大変有難く存じております。
これからもご提供させて頂く教育の質の向上を目指し、モンテッソーリ教育本格実施園として粛々と実践と研鑽を続けて参ります。
何卒よろしくお願い申し上げます。
高津学院幼稚舎 園舎代表 板倉健介
2011.3.11
あの震災から10年。昨日多くのメディアでも取り上げられ、様々な特集が組まれていました。
1日経った今日。当たり前のようにメディアや当事者でない人々は日常が戻ったように感じました。
被災地の方々からすれば、10年でも、これまでも、これからも、復興を続けていかなければなりません。
当時私は小学校教員として子ども達と講堂で体育を行っておりました。
あの時の事ははっきりと覚えています。幼いころ阪神淡路大震災も経験しました。
大切なことは決して「忘れないこと」そして、毎日を一生懸命「生き抜くこと」。それらを子ども達と共に体現することだと考えます。
未曽有のコロナ禍、今後も様々な困難があれど、主体的に子ども達の未来が自らの手で明るくしていってくれること願います。
公園での出来事
今日、戸外遊びの公園で年少児が、「園長先生、松ぼっくりってどこに落ちてるん?」と聞いてきました。
私は、少し遠くの松の木を指差し、「あそこの松の木の下には落ちてるかもしれないね。」と答えました。
その子は嬉しそうに、その松の木に向かい私も追いかけ、松の木を見上げて、
「ほら、見てごらん、木の上に松ぼっくりがついてるでしょ。あれが落ちてくるんだよ。」
と伝え、その場は少し坂になっていたので、男の子が「坂になってるから、下に転がってるかも知れない。」と付近を探し始めました。
その後は私も児童看護があるのでその場を離れましたが、その後彼は4つ松ぼっくりを見つけ、2人の友だちに1つずつ、お母さんと自分に1つずつ持って帰ったのでした。
公園の松の木の松ぼっくりもかなり落ち切った後の様子でしたが、その子が遠くから私が指さした松の木を知っていたこと、松ぼっくりを知らぬ間にたくさん見つけていたこと、それを友だちにあげ、お土産も持っていたことに、1年以上経つ成長に日々に驚かされると共に、子どもの観察力の高さに感心させられた出来事でした。
音楽表現
12月20日(日)、この日は音楽表現の研修に行ってきました。
先生は、ピアノの堪能な方で幼児音楽に精通されている方だったのですが、大変わかりやすく指導してくださり、「音楽」に苦手意識のある人たちにとっても大変有意義なものであったと思います。
教師や保育士が大切なのは、ピアノや楽器を巧く演奏できるという技能ではなく、楽器は飽くまで「音楽」を楽しむ為のツールでしかなく、子ども達にまずは「リズム感」をつけてあげるということであるという事を学びました。
コードや和音の話までにもなったのですが、専門的な用語や技法についても非常にわかりやすく解説してくださいました。
思えば、幼稚園、保育園、小学校の先生は特に一昔前までは、「ピアノ演奏は必須」というような雰囲気でした。
しかしながらピアノをしていたほとんどの人たちはあまり幼少期に楽しくピアノに通ったという記憶はなかったようです。
(この研修に来られてたほとんどの方がそうでした。)
小学校でも、大きな行事の度に誰がピアノ伴奏するのかという、ある意味不毛な議論が延々となされていたことを思い出します。
この学びをしっかりと園にフィードバックして、子ども達と「音楽」を楽しみたいと思います。
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