スマホと思考力
子ども達のスマホやタブレットについては、文明の利器として、現代の我々の日常生活に浸透しております。
近年、スマホを幼少期から使用しすぎることでの弊害について、各脳科学界からも科学的なデータが明らかになってきているようです。
単に目が悪くなることや、ネットで繋がることの危険性だけということではなく、子ども達の「思考」についても、問題が定義され始めています。
幼児教育現場や、学校現場でも積極的にICTに力を入れることを目的に研究する学校や幼稚園、タブレットを使うことを目的としているような風潮があり、教員時代私自身も少し違和感を覚えておりました。
子ども達は私たちよりもっと身近なものとしてそれを使いこなす術について、我々の児童期より比べものにならないほど高いという事は言うまでもありません。
スマホやタブレットは便利なツールとして「人」が生みだしたもので、便利な「道具」でしかないのに、それを使いこなすことが「目的」となっている様な気がしてならないのです。
使いこなすことは子ども達に与えれば確実に出来るようになります。それよりもそのリテラシーや使いすぎることでの弊害や、全世界とつながることの素晴らしさと同時にその危険性について伝えること、もっと言えば、「考えて行動すること」が大切なのではないでしょうか。
一方、手紙や電話についてもその当時の最先端の便利な「ツール」であったことは言うまでもなく、「字」や「声」にその人の機微や心が感じられる、あたたかなものであるという事も忘れてはならないと思います。
最先端の機器を「使えること」が優れているのではなく、それぞれの特徴、メリットデメリットを知りながら、飽くまで生活の中の「道具」でしかないという事を理解する必要があると考えます。
園舎の子ども達はこれら前頭前野が発達する大切な幼少期に、毎日、沢山手指を使い、異年齢の環境から多くの事を日々吸収しています。
自分で何をするか自分で決め、おしごとや製作を工夫しながら取り組んでる子ども達の姿を見ていると、前述したようなことを自然と理解してくれるのではないかと思います。