自由と規律について
多くの保護者の皆さまからモンテッソーリ教育における「自由」についてのご質問を受けます。
園舎では「自由」という名の「放任」では全くないということ。をお伝えしております。
今日は子どもとのやり取りの中のこんな1例を紹介したいと思います。
登園してきた園児はトイレを済ませ、手を洗います。しかしながら3歳児の園児は他の友だちのおしごとや他の園児のお迎えに気をとらえて、身支度が全くできていません。しかし園舎ではお手伝いが必要であれば手助けするものの、「早くしなさい!」ということはありません。
私は「〇〇くん、上着がまだ掛かってないよ。」「○○君、園に来て大分時間が経つようだよ。」と声を掛けました。
私も見届けていたのですが、私自身の仕事もあったので、
「〇〇くん。できたら園長先生に教えに来てね。」と伝えて職員室に戻りました。
すると数分後、
○○君「園長先生、身支度できたよ。」
私「自分でできたんだね。今日は時間が大分かかったようだけど、どう?」
○○君「いろんなことをしてしまって、遅くなってしまったんだよ。」
私「うん。見てたよ。○○君、時間が無くなってしまったらどうなると思う?」
○○君「おしごとが出来なくなっちゃう。」
私「そうか。そうだね。じゃあ、次からどうしようか。」
○○君「次からは早く身支度して、たくさんおしごとしたいと思う。」
私はとても感心しながら、この園児と会話をしていました。3歳児でも原因と結果を理解し、自分の言語で発することが出来るのだと。
この男の子には「身支度を素早くする」ことについては、自分自身の「課題」であるということに気づいてくれればと願っております。
このように、自分の身支度を終えないことには決して「おしごと」をすることはできません。もし時間内で何もできなくてもそれは本人の決めたことになる、という「責任」を園舎では感じて欲しいと思います。決して教師である大人への恐怖心や畏怖感ではなく、自身で「ルール」を理解していくようになって欲しいと願います。
そして、私が「教育」について大切にしていることは、「子ども理解」です。
「子ども理解」のスタートはお互いの年齢などを超えた「人」としての「尊厳」を大切にして、子どもと接することだと考えます。
子どもをひとりの「人」として尊厳を認めて接し、こちらの尊厳も尊重してもらう。私たち大人は、ただ少し先に生きているだけというように解釈する。
私自身も今日のような出来事による子どもからの学びを大切にし、子ども達には自分自身の中にいる「教師」の声に、心の耳を傾けてもらえればと思います。