たった1人でも
近頃、ご見学頂いた保護者の方に、「小さな幼稚園では、子どもの社会性が身につかないのではないですか」とのご質問を受けました。
また、「モンテッソーリ教育では子どもが自分勝手になってしまう心配があります。」と言われたことがございます。
1つ目の質問に私はこの質問にこう答えました。
「子どもの社会性の発達には環境の部分はとても大切だと考えます。大きな幼稚園小さな幼稚園に関係なく小さな集団の中で、また幼児期においても異年齢で育っていくことが子どもの社会性を身に着けうる最適な環境であると考えます。」
というように。
子ども達は小学校に入学すると否が応でも、学校、学年、クラスなどの「集団」という「社会」に飛び出していきます。そこで、集団生活の「慣れ」ではなく、一人ひとりの「個」が育っているということが「社会生活」を送っていく上で大切であると考えます。
具体的には、
・自分の身の回りのことが自分でできる。
・相手の話を聞くことが出来る。(待つことが出来る。)
・自分で考えて行動する基礎がついている。
モンテッソーリ教育では、異年齢の小さな社会生活の中で自己選択の日々を繰り返します。まさに先ほど挙げました「個」の成長が自然と期待できるものと捉えております。
また、少人数であるということは、保育士や教師もきめ細かい目で子ども達を見守ることが出来ます。
私は小学校教員の新任時代、1クラス40名の大所帯でした。教室にエアコンはなく、本当にこの環境で大丈夫なのだろうかと心配になったほどです。
その後、最小の29名のクラスを持った時にはやはり、大人の目という部分(経験を重ねたということもありますが)では少人数が良いだろうと思いました。また、同年代の大規模による集団教育には過度の「競争原理」が働いてしまいます。
人の人生は他人と競うものではなく、他の人と協力しながら自分の人生を主体的に「生き抜く」ことが大切であると思います。ですのでそれぞれの教育環境の規模ではなく、子ども自身の判断、幼児期においてはご家族特にお母さんの判断が大切になってくるかと思います。
今は、どの学校も少子化の影響により、必然的に1学年の人数は少人数になっており、算数科や国語科で少人数に分けた学習も進んでおります。
やはり、小規模大規模に関わらず、子どもの主体性を育むための「環境」が子どもの成長・発達の部分において重要になってくるのではないでしょうか。
2つ目の質問にはこう答えました。
「モンテッソーリ園ではその逆です。」
よくモンテッソーリ教育について誤解があるのは「自分勝手になってしまうのでは」という所です。
モンテッソーリ園では「自由」という名の「放任」ではありません。
決して自分勝手な考えにはならない環境であると思っております。
その理由として、具体的には、
・モンテッソーリ教育の「おしごと」をする上での教具や道具が環境には「1つ」しかない。
・自分で使った園のもの(教具含む)は必ず次の人の為に元の場所に戻しておく必要があるということ。
・「自分でやりたい。」という「心が満たされている」ため「相手にも優しく接することが出来る」(情緒が安定している)
教具が1つしかないということは必ず順番が来るまで「待つ」必要があります。
(※詳しくは前回のブログ「待てるということ」をよろしければご一読下さい)
使った物をきちんと元ある場所に元の状態で戻すことは高津学院幼稚舎では当たり前のように、繰り返し伝え、覚えていきます。
最後の満たされた気持ちはとても大切であると考えます。大人でもおなかがすいていたり、寝不足だったり、人間関係で悩むときは他人に優しく接することが出来ないのではでしょうか。子どもも同じなのです。毎日自分のしたいおしごとを繰り返し(ここに保護者の方は引っかかるのだと思います。)自己選択の日々を送ります。この時点で与えられるのではなく、自分で行動を起こす日々ということになります。
私は長年、初等教育に携わってきましたが、大人数大規模の教育活動には子どもの主体的な成長に大きく寄与することはないと考えます。大きくなればそれだけ組織として「教育理念」をしっかりと共有する必要がありますし、その難しさは教員時代に痛感いたしました。
我々高津学院幼稚舎も、園児が全くの0(ゼロ)からのスタートでした。モンテッソーリ教師と共に「たった1人」でも今いる目の前の子どもを大切に楽しみながら働こうと声をかけております。
今後も多くの保護者の皆さまのお声をお聞かせ頂く中で、教育について気づいたことや考えを綴っていこうと思います。