小学校の先生との交流
先日、教員時代からずっと交流のある先生方と懇談する機会がありました。
教員の働く環境も少しずつ改善されており、定時に帰れる事もあるそうです。しかし、結構学校にもよるみたいで、やはり校長、教頭のマンパワーによるものも以前大きいようです。
その中には、1年生の担任をされてる先生もおられました。小1までにつけておいてほしい力を尋ねてみると、ひらがなが書ける、足し算ができる。という学習としての「できること」ではなく、やはり「話を聴くことができる。」担任は35人程度の人数をほぼ1人でみているので、その辺りを保育園や幼稚園とは違った形で理解して欲しいとの事でした。
モンテッソーリ教育を受けた子ども達は毎日、「自分で決める」を繰り返しております。そして、縦割りや信頼できる教師と共に過ごすことで、「環境」や「大人」そして友人を信頼することができる思います。
だからこそ「話を聞いて、行う。」ということは簡単にできるのだと思います。現に年長さん達の習い事の際に当園保護者の方から喜んでいただけるのは、先生の話を聴くことができる。という所です。それは高津学院幼稚舎の子どもらの強みであると考えます。なぜ話を聞くことができるのか、それは、「聞いてもらっているから」です。我々モンテッソーリ教師は子どもが話しかけてくれるとチャンス!とばかりにお話や出来事の広がりをみつけて「語彙の拡充」を目指します。そうする事で「貴方のお話は聞くに値するのですよ。たくさん話をしてね。」という態度を目を向け、心を向けて聴くよう訓練されています。
現役の小学校の先生や何十年も小学校の先生をされて来た先生方との交流の中で見えてくることは幼少期にどれだけ「主体的に自らの人生を形成する素地を作るか」に尽きるのだと感じました。
結局、「何かができる」という事は横と比べて大人が安心したいからなのだと親にとしての立場でも余計に痛感しますし、共感できます。だからこそ、目の前にいる子ども達が毎日笑顔で探究している姿を見ながら、更に信頼できるモンテッソーリ教師達と協働しながら、「環境」をさらに良いものにしていこうと考える日々です。